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丹波篠山地名考

「城南(じょうなん)」

 「城南」の名称は、篠山城の南の方にありますので、この名が明治22年から昭和30年まで、自治体名として使用されてきました。
 江戸時代の「城南」は、真南条組(まなんじょうぐみ-真南条上・中・下、栗栖野(くりすの)、初田(はつだ))と、岩崎組(いわざきぐみ-野中、北村、小枕、谷山、岩崎、宇土)の2組に分けられていました。
 さらに古い室町時代の、長禄2年(1458)~明応9年(1500)ごろの古文書には、「野中保」が京都の松尾大社の荘園として、「丹波国野中保」として書かれています。
 また、室町時代の「真南条」は、「酒井郷」に含まれていたらしく、栗栖野、初田、犬飼(いぬかい)、当野(とうの)、矢代(やしろ)、波賀野(はがの)、住山(すみやま)、見内(みうち)、不来坂(このさか)、油井(あぶらい)と広範囲になっています。ところで、この「真南条」は、篠山盆地を中心として、大化の改新(645年)以後に土地開発された、条里制(古代の耕地整理)の地名の名残と思われます。
 当時は、全国的に大規模な開発が実施され、土地を縦と横に区切り、横列を東西に「条」とし、縦列を南北に「里」として整備しました。その田んぼ1つ1つに「坪」の記号を付けて、「一の坪」「二の坪」と表示しました。
 「真南条」の「条」は、古代の条里制が施行され、東西に区切りをつけた「条」の名残と思われます。昭和の耕地整理によって、谷山、岩崎、宇土などに残されていた古代の貴重な坪名が、消滅してしまいました。

(参照図書) 角川日本地名大辞典、丹波の荘園
丹波史懇話会会長 中野 卓郎