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「畑治男特筆編集」

篠山市の歴史に刻まれた
先賢の足跡が語る
~法貴 発(ほうき はつ)編~

 

五、法貴 発(ほうきはつ)

篠山藩の家臣・郷土が生んだ名士・政治家

 幼いときから胆がふとく秀れた考えをもっていた。渡邊弗措に学び、十九歳で幕府の官学「昌平校」に入った。戉辰の変(明治1(1868)年)には天下の志士と国事に奔走した。甘五歳で上京して、5年間大蔵省に勤めた。
 政党が起こったときには、自由党に入り、自由民権、国会開設を首唱した。丗三歳で県会議員になり、その後帝国議会が開かれ、衆議院議員に選ばれたが病のため列席できず、明治23(1890)年10月に歿した。69歳であった。