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曽地山左近稲荷神社(曽地中)

厄神前バス停から徒歩約4分

 日置東の信号を南へ約1.5キロメートルの三差路を、さらに南南西の方向へ約300メートル行ったところに「曽地山左近稲荷神社」がある。
 明治43年から、北東方約500メートルの通称宮山の中腹にある厄除八幡神社に合祀されていたが、昭和12、3年ころにまた元の場所に祠を建ててお祭りするようになったという。
 12代篠山藩主青山忠裕公が老中であった文政年間(1818~30)のころ、江戸・両国の回向院広場で大相撲が催されていた。ある年の春場所のこと、このお稲荷さんの化身が、「大関王地山平左衛門」ら8名の一行の一人として、「前頭曽地山左近」という力士名で、青山家のお抱え力士に代って土俵に上り、大活躍をしてお殿様を大変喜ばしたという話が伝えられている。
 お稲荷さんの主祭神は、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)(倉稲魂神)という五穀の神様である。寺院では平安時代に密教の影響によって、自在の法力を持つダ枳尼天(だきにてん)を稲荷権現とするようになった。
 しかし、いずれも狐を田の神の使いとし、あるいは、その本体を狐の精として礼拝することにより、福徳を求めようとする信仰である。
 江戸期以降、商工業の発達・貨幣経済の伸展により、町人が繁栄を願う商業神の性格も持つようになった。狐はその尾が如意宝珠に似ていることから縁起がよいものと考えられてわかりやすく、五穀豊穣・招福除災・商売繁盛の神として全国至るところにお祭りされている。ここはそのうえ、先の物語にあやかって、勝利守護・合格成就にもご利益があるという。
 ところで、当時の殿様と領民との関係のなかで、農民たちが自分たちに幸せを頂けるようにと祈る大切な稲の神様が、姿を変えて領主のご機嫌を取って下さったという説話を、どう理解したらよいのだろう。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
※地名・交通経路等は書籍発行時のもので、現在の状況とは異なる場合がありますのでご注意ください。